AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

AIDで子供を授かった人の日常は普通の人と違う?

無精子症が発覚してAIDを意識してから子供を授かるまでは、毎日毎日AIDの事を考える毎日でした。

 

そして、子供を産みAIDで授かった命に感謝しながら育児に追われる日々。

そんな日々を過ごしていると、AIDについて考える時間がどんどん減っていきました。

 

AIDの事を全く思い出さずに一日を終える日がどんどん増えます。

子供が1歳になった頃にはAIDの事は頭の片隅に。

 

たまに考える事といえば、告知はどうしようかな・・・という事くらい。

その頃には、すっかり子供を普通に授かった他のママたちと同じような日常を送っていました。

 

もちろんAIDの事はとっても大切な事なので、常に心のどこかにはあります。

でも、以前のように常にAIDについて考える必要性がなくなるというか、それよりも子供のお世話の事で頭がいっぱいな状態なのです。

 

そんな日常の中でAIDの事を思い出すタイミングは、

お友達などからの、

◯◯ちゃんはママ似?パパ似?
2人目はどうする?3人目は?

なんて、話題が上がった時くらいでしょうか。

(我が家は親戚とごく親しい友達にしかAIDのことは話していません。)

 

 そんな時は、適当に話を合わせながら、心の中で、

まあ、パパには似てないはずだからなあ。
うちは、欲しいからといって簡単には授かれないからねー。

などと一人で呟いて終わらせています。

 

後は、AIDで子供を授かったお友達と連絡を取る時。

そんな時は告知についてとか色々新ためて考えるいいきっかけです。

 

AIDの道に進むと決めた時、私の中ではものすごく特殊な道を進むような気がしていました。

周りの友達が歩む道とは全然別の道。

どんな道なのかが分からなくて、分からないからこそちょっと怖い。

 

でもその道に進んでみて気づいたこと。

AIDという事実を抱えながら生きては行くけど、歩いてる道は他のみんなと変わらないということ。

 

周りのママたちと同じようなことを喜び、同じようなことに悩む。

 

AIDについてはAID友達と共有すればいいから、別に普通の友達に分かってもらいたいとは思わない。

 

そう、AIDにしっかり前向きに向き合えてAIDに進んだのであれば、意外とその後の日常は、思ったよりもずっと普通である、と思う。

 

以前AIDに進むと決めた時にちょっと怖かったのは、AIDの先に進んだ道が見えなかったから。

分からなかったから。

みんな、分からないことって、怖いんですよね。

 

AIDの道の先には、普通の幸せや普通の悩みが沢山待ち受けてますよ!

同じ道を進もうとされてる方々が怖さを感じないように、どんな道を私が歩んでいるのか、ちょっとでも伝われば嬉しいです。

 

 

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