AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

その立場になってみないと分からないこと

その立場になってみないと分からない

 

たまに聞くフレーズですけど、自分がマイノリティになってみると更に痛感しますね。

 

 

以前学生時代の友達と話していた時のこと・・・

友達 「妹の旦那さんに精子がいなくてね、睾丸から精子細胞見つけて北九州まで行って体外で治療してるらしいの。子供作るのにそこまでするんだ・・・と思ってさ。」

 

 

思わず、

私 「その立場になってみないと分からない事ってあるんだと思うよ・・・」と。

友達 「そっか・・・そうかもね。」

 

そしてその後、私その友達に自分の子供がAIDで産まれたこと、カミングアウトしてしまいました!!

友達もびっくりしていましたけどね、妹さんより更にかけ離れた世界の話ですし。

まさか無精子症の夫を持つ妻が身近に二人もいるとは思わなかったのでしょう。

そしてその後、温かく話を聞いてくれました。

 

でも友達の、そこまでするんだ!という気持ち、分かります。

 

私も結婚する前くらいだったかな、無精子症発覚のだいぶ前に代理出産のニュースを見たんです。

病気で子宮を取ってしまったので、母親の子宮を借りて赤ちゃんを出産されたという。

その時の感想が、「そこまでするんだ・・・」でした。

いいとか悪いとか、そんなのは判断できる自分ではなかったので、肯定する気持ちも否定する気持ちも湧きませんでしたが、ただただそこまでするのかと、びっくりした記憶だけは残っています。

 

でも今なら代理出産をする方達の気持ちが良く分かります。

境遇に似たところがありますから。

 

 

多分AIDについては当事者ではない方で、子供が出来ないからってそこまでするの?!という感想を持たれる方も少なくないと思います。

 

 

 

無精子症が発覚して夫婦の血の繋がった子供を授かる道を閉ざされた時点での選択肢は3つです。

  • 夫婦二人の人生を歩む
  • 養子
  • AID(非配偶者感人工授精)

 

私の周りでの話ですが、実際にこの状況になってしまった方の少なく見ても半数以上がAIDの道に進んでいらっしゃいました。

 

私もそうですが、他人事だと「そこまでするんだ・・・」と思うような事でも、実際に自分が当事者となると、考え方が変わるということなのでしょう・・・。

 

そう、皆『その立場になってみないと分からない』んですよね。

 

それを踏まえ、思うこと。

世の中の様々な異なる文化の方・様々なマイノリティの方・異なる宗教の方など、自分と違う視点で生きている方って沢山います。

その方達の生き方を尊重してゆける自分や世の中であるといいな、と思います。

世の中、当事者になってみないと分からないことだらけ。

そう、所詮分からないんですよね。

だから頭ごなしに否定することだけはしちゃいけない。

 

理解できないのは仕方がない、無理に理解する必要はないかもしれない。

でも、尊重することは出来る。

 

あるアメリカ人クリスチャンの方の話です。

その方には日本人のご友人がいて、ご友人のご家族の葬儀が仏教でとり行われました。

本来クリスチャンは偶像崇拝が禁止されていて、キリスト教でない仏様に手を合わせることは良くないとされています。

でもそのクリスチャンの方は、日本の文化や慣習を尊重して、仏教のお葬式に出席して手を合わせられたとのことです。

 

素敵なお話だな、と思いました。

自分と異なる価値観を持っている人を理解することは難しいかもしれない。

 

でも、互いに違っても尊重しあえる自分でありたい。

そんな世の中であってほしい。

 

これも又、AIDから学んだことの一つです!