AIDに対する不安〜無精子発覚から現在まで
無精子症が発覚した時から感じた様々な不安
についての私の場合をまとめてみました。
私の場合、無精子症が発覚してからTESEを行うまでに半年ほどの期間がありました。
なのでその間に心の整理の大方を終わらすことが出来ました。
私の一番心が荒んでいたのは無精子発覚からTESEまでの間です。
TESEを受ける時にすでに、もしTESEが駄目ならすぐにAIDに進もうと決めていました。
無精子発覚後
子供のいない人生という恐怖
まず最初に感じた不安・そして一番多くな不安は、『私達夫婦は子供を一生授かることが出来ないかもしれないの?』ということでした。
子供がいない人生は想像さえも怖くてできないくらい子供が欲しかった私には、ものすごく子供がいない人生というのを恐怖に感じたのです。
TESEで精子が見つかる可能性は低い。
しかもAIDに進んだって妊娠率は2%や3%だという。
AIDの体外に進むのも難しそうだし。
その後養子を望んでも、養親希望の人が多く中々養子も簡単には迎えられそうもない。
→実際にAIDの道を進んでみて養子の世界も覗き見させてもらった今は、正しい情報収集と正しい判断をすれば無精子症夫婦も高確率で子育てを出来ている現状を知りましたが。
子供のいない人生を送らなければならないかもしれないというのは、私にとって不安というか恐怖でした。
が、周囲の他の同じ境遇の方のお話を聞くと、そこの感じ方は様々でした。
私のように子供がどうしても欲しい・・・という人もいれば、出来ないなら二人の人生でもいいけれど可能性があるならAIDをやってみたいと余裕を持った心持ちで構えている方もいらっしゃいました。
AIDの世界をタブー?と感じてしまう不安
無精子症が発覚してから多くの方がそうなるように、私も毎日検索魔と化していました。
そこでネット上で目にした皆さんの書き込みは、
「最後の砦、北九州に・・・」
「TESEで駄目でした。Dの道に進みます。」
「K病院で治療をしてます・H病院に初診に行きました。」
知識のない私にはすべて暗号のよう・・・。
ある程度勉強をして知識を得て意味が分かってからも、
『なんでみんなAIDの病院名をボカすのだろう・・・。言ってはいけないことなのかな・・・。』
AIDの治療は隠さなくてはいけない?そんなような空気を感じました。
しかも、AIDで毎年多くの子供が生まれている統計とは裏腹に、AID出産後の経験者の体験談が全くヒットしてこない。
AIDで子供を授かった方たちの産後の生活が全くベールに包まれていたのです。
皆が暗闇の中でひっそりAIDの治療をし、子供を授かった後も世間に隠れながらひっそりと暮らしている?なんだかそんな印象を受けてしまいました。
私がそう感じたのはもう9年程前のことなので、今はもう少しオープンになっているのではないかな、と思いますが。
私がこのブログを立ち上げたのもAIDにもっとオープンな風が吹けばな、という思惑もあります。
特殊な道に進んだ先で何が待ち構えているのかが見えない不安
(授かるまでも・たとえ授かったとしても)
今まで自分が知りもしなかったAIDという世界。
自分の周りに経験者がいないだけではなく、ネット上にも治療中の方の情報くらいしかない。
9年程前は、まだ告知をする方が増え始めたばかりの時期でした。
なので告知をせずに子育てをしている方が大半で、その場合はネット上にAIDの痕跡となるような情報を残したくないと思うのも当然だったのだと思います。
とにもかくにも情報や体験談が見えない。
AIDで子育てをしている人が本当にこの世の中に存在しているのだろうか・・・
そんな風にさえ思えてしまうくらいでした。
分からない世界に飛び込んでいくって不安ですよね。
見えない世界に足を踏み入れて自分の前には何が待っているのだろうか。
ちゃんと幸せになれるのだろうか、子供を幸せにできるのだろうか。
知ることって大切です。
AIDで生まれた方達の声を初めて読んだ時のショック
AIDで生まれた方たちの手記を初めて読んだ時はとても心が沈みました。
私が進もうとしているAIDの世界、そのAIDで生まれた子ども達がAIDは反対だと唱えている。
AIDで子供を産むと子供を不幸にしてしまうの??
でもよくよく読んでみると、手記を書いていらっしゃる方達みな、告知を受けずに予期せぬタイミングでAIDの事実を知ってしまっている。
そしてその方達の親がAIDについて目をそむけようとしているようだ・・・。
おそらくAIDで生まれて幸せに暮らしている人もいるはず。
でも幸せに暮らしているとあえて世間に自分の声を発信する必要がない。
だからきっとそういう方たちの情報がないんだ。
私は、AIDで生まれた方たちの声からまずは学ぼう。
AIDで生まれた子供達が幸せにAIDを肯定的に捉えられるようにするには私達親がどうすればいいのか。
考えあぐねたあと、そんな風に結論付けました。
子供がドナーを知りたいと言ったらどうしたらいいんだろう
出自を知る権利を認められていない日本。
もしも将来子供が切実にドナーを知りたいと訴えてきたら、
それが子供のアイデンティティに関わるような事だったら、
どうしてあげればいいんだろう。
ドナーが分からない事で子供の心が崩壊してしまうなんて事にはならないだろうか・・・。
そんな心配もありました。
もし子供がドナーさんを知りたいと言ったら、
一緒に一生懸命病院にかけあって探そうと試みます。
そうやって子供に寄り添うことが何よりも大切だとAIDで生まれた方からも伺いました。
あとは前向きに告知をして育てた場合、養子の例を見ても(養子を迎えた友達から話を聞いても)、子供のアイデンティティが混乱するほどにドナーさんを知りたいと切望する可能性はあまりなさそうだな、と今は思っています。 もちろん個人差がありますので絶対とは言えませんが。
↓そんな考えに至り、私の不安を解消したきっかけを下の記事にまとめました。
そんなこんなで無精子発覚からしばらくは色んな不安がありました。
しかし、無精子発覚から半年後のTESEの結果が出る頃には、そんな不安もほとんど消えていました。
ネットで情報収集したり、同じ境遇の仲間と連絡を取り合ったり、すまいる親の会に参加したり、そして自分でも考えに考えに考えてゆくうちに、です。
不安の根源は知らない・分からないからって事がほとんどです。
色んな話を聞いて”知る”ことをしたあとは、不思議と不安って消えていくものです。
TESE後(=AIDの治療に進んでから)
どちらかというとやっと一つ扉を開くことが出来たというスッキリとした気持ちでしたので、不安よりは希望が大きかったです。
今までは0%だった妊娠の可能性が少なくとも0%ではないという希望
ただ私の場合運良く2度目の治療で授かりましたが、治療が長引くとまた違った不安や悩みが出てきます。
治療って先の見えないジェットコースターみたいですよね。
上がって下がって落とされて、それを繰り返す。
終点が見えないってこれ又不安ですもんね・・・。
妊娠発覚後
病院で胎嚢が小さいので上手く育たないかもしれないと言われ、号泣し不安な日々を過ごしました。
きちんと赤ちゃんが育っていると知った時には嬉し涙が止まらなかった。
ものすごく幸せな気持ちでした。
雲の上にあった幸せが今自分の手の中にある。
ああこれで人とは違う道を歩む事が決定したな、というズシッとした気持ちも一瞬心をよぎりました。が、それも本当に一瞬でした。
出産した時もこれ又今までにない幸福感・満ち足りた思いに包まれ涙が止まりませんでした。
文字通り赤ちゃんは私にとって奇跡の子でした。
ただただ喜びばかりで不安はほとんどありませんでした。
でもこれ又個人差があります。
AIDでなく普通に子供を授かった友人の中でさえ生まれた時に責任を強く感じて不安になったという人もいました。
どこでどのように不安を感じるかは人それぞれ。
感じたタイミングでしっかり向き合って一つ一つ不安を解消していくのが大切なのでしょうね。
でも、考えても答えが出ない不安も中にはありますけどね。
時が解決してくれたり、そもそも悩む必要のないことだったり。
人によって無精子症が発覚してからの流れのスピードも違うので、どこでAIDにしっかり向き合うのか、も異なる。
個人の性格や状況によって悩みの深さや不安の大きさも様々。
でもAIDという道を考えるなら不安は多かれ少なかれ皆感じるはず。
今まで想像もしていなかった道に進むのだから。
でも、私の場合一通りAIDについて考えて考えて考えた後は、娘たちを授かり何年も経った今までを含め不安はもうほとんどありません。
おそらくこれから”AID関連の悩み”は出てくるのではないかな、とは思います。
でもその際はしっかり子供と向き合い、周りに相談して、乗り越えられるものだろうな、と漠然と・でもなぜか強く感じているからです。
なぜ乗り越えられると思うのか・・・?
かけがえのない娘たちの存在はAIDあってのもの。
親の私達が感謝してもしきれないAID。
子供達は親をしっかり見ているから、きっとAIDに対する私達の思いを感じながら育ってくれるんじゃないかな。
だから子ども達も色々悩みはあったとしてもAIDに対して肯定的に捉えてくれるんじゃないかな。
多分それが "私達家族ならAIDにまつわる悩みを共に乗り越えられるはず"、と私が思う根拠なんだと思います。
まだまだ道半ばなので、この先何があるかは分かりませんけどね・・・。
でも人生ってそういうもの。
何もAIDに限ったことではありませんものね。
何か予期せぬ事が起こったら、その時に又どうしようか考えることとします!
長くなってしまいましたが、お読みいただいた方、どうもありがとうございました!