AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

AIDで産まれた方の話を聞いて告知したくないと思う事

AIDについて調べるとすぐに目にする《AIDで産まれた方たちの辛い心情を綴った手記》

 

その手記を書いた方達は、AIDで産まれたが告知を受けずに成長。

予期せぬタイミングで自分がAIDにより産まれたことを知ってしまい、その後の心の葛藤・憤り・虚無感・怒りなどに苦しんでいらっしゃる。

 

 

手記の内容をまとめると、

・長年父親と血の繋がりがないことを隠され嘘をつかれていたと感じ、両親を信頼することが出来なくなり辛い。

・自分の半分の元を作っている精子提供者が分からない事で、自分はどこから来た何者なのか?というアイデンティティが崩れてしまって苦しい。

・AIDは子供を産めない親を救済するためのものだけで、そこに子供の福祉の観点が欠落している。子供に出自を話せないような後ろめたさがある治療ならAIDをするべきではない。

 

このような内容です。

AIDに希望を見出して進みだそうとした矢先に、こういった手記を読んで打ちのめされた気分になる方も少なくないのではないかな、と思います。

私もそうでしたから。

でも、AIDに進むことを考えるならば、一度しっかり向き合うべき事柄ですね。

 

 

そんな手記をAIDに進もうとしている方たちが読み、

たまに耳にするのが、

 

『AIDで産まれたことをしってしまい、こんなに苦しい思いをするくらいなら私は子供にはAIDの告知をしない。』

という意見。

 

 そう思ってしまうのも分からなくないです。

確かに・・・上記のAIDで産まれた方々も、お墓に行く最後まで自分がAIDで産まれた事実を知らなかったならば、そんなに苦しい思いをせずに済んでいたのだろうと思います。

 

告知をしないことが主流だった時代、自分がAIDで産まれたことを知らずに天寿を全うされる方たちも多いでしょう。

 

 

 

 

ただ一つ強調しておきたいのは、

手記を書いている方たちは皆、告知を幼い頃からしてほしかったと感じているのです。

大人になってからAIDで産まれたことを知ってしまった事が問題なのではなく、告知を幼い頃から受けられなかった事が問題だとおっしゃっています。

 

AIDで産まれたことを知って悩んでいるのではないのです。

それまで隠されていたことに悩んでいるのです。

 

自分たちの手記を読んで、告知をしないという決断を下されるのは

手記を書かれた方たちの思いとは真反対の選択です。

 

 

親がAIDで子供を産んだことに誇りを持ち、

AIDに対する子供の思いに寄り添って生きる事。

子供に生まれてきた意味を伝える事、

子供の誕生がどれほど祝福に満ちたものだであるか。

 

そんな事の大切さを、AIDで産まれた方達は伝えたかったのではないでしょうか。

 

 告知をすることが怖いと感じる方も多いかもしれません。

でも我が家では今のところはそんな事全くないです。

周囲のAID家族も告知が家庭環境に悪影響を及ぼした話は聞いたことありません。

むしろ、告知とは子供にたっぷり愛を伝える事でもあります。

親子の絆も強まります。

 

告知については中々難しい問題ですね。

それぞれの家族が一番笑顔でいられる形に向かえますように。

 

 

お読みいただいた方、どうもありがとうございました。

 

 

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