AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

子供との巡り逢いは運命

ーーーーー以前一度アップした記事のリライトです。

        以前にお読みいただいた方がいたら、申し訳ありません。ーーーーー

 

 

 

まだ子供を授かる前に、こんな養子を迎えた人の話を読んだことがありました。

養子で子供を迎え、初めて胸に赤ちゃんを抱いた時に、ああ・・今までの不妊治療や悩み考えた日々は、この為だったんだ、とストンと胸に落ちました。
 

 

 
養子と実子を両方育てているアメリカ人の友人はこんな事を言っていました。
子どもとの出会いは、縦の糸と横の糸が織りなす織物のようなもの。どのような出会い方をしても、そうやって出会う運命だったんだと思うの。自分で産んだ場合も養子の場合も、そうやって私の元に来てくれる運命だったんだと思う。あなたの子供も同じ。あなたの所に来る運命だったのよ。
 
本当にそうだなあ、と思います。
 
養子でもAIDでも普通に産んでも、出会ってしまったらその瞬間に、その子でなきゃダメになります。
他の子ではダメで目の前にいる ’この子’ でないとダメ。
この気持ちって何なのでしょうね。
母性本能や父性本能?
不思議です、でも親になってみると皆が感じているようなのです。
 
辛かった過去も、我が子に会うための1プロセスだったならば、それは自分にとって必要なものだったのだ、と思うようになりました。
 
今更無精子症はなかったことにします、なんて言われても困ります。
今目の前にいるこの我が子でなきゃダメなんだから、無精子症はもはや私にとって必要なものだったのです。
 
我が子が自分の元に来てくれる道順は色々あっていい。
この子が来てくれたこと、が何より大切なのだから。
 
養子で子供を迎えた親も、AIDで子供を迎えた親も、そんな心境にたどり着くようです。
 
 
最後に残る気持ちは、『感謝』です。
ドナーさんへの感謝
我が家の子供になってくれた子供への感謝
(養子なら)産んでくれた方への感謝
今ある幸せに対する感謝
 
 
 
無精子症が発覚し、子供を持つにはAIDか養子しかないという現実を突きつけられた時。
 
とにかくショックですよね。
夫婦の血縁のある子供を持つことができないという現実に押しつぶされそうになって。
 
 
でも、今となってはあの時、何に胸を押しつぶされそうになっていたのだろう、とさえ思います。
全ては愛すべき我が子達に巡り会う為のプロセスだったというのに・・・。
 
 
と、同時に、あの時苦しみながらも今の幸せに向かって歩んでくれた、
昔の自分にも『感謝』です。
 
 
 
人生何が起こるかって本当に分からない。
でも、幸せの形って無数にあるんですよね。
 
思い通りにならないことが起こったとしても、
その先に、また別の幸せの形に繋がっていたりする。
 
 
だから人生って面白いんですね!
 
 
お読みいただきありがとうございました。