AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

AIDって特別なもの?特別って何??

夫の無精子症により、AID(非配偶者間人工授精)で授かった姉妹の子供の母です。

先日AIDを検討している方の相談にのっている時、皆さんの真剣な表情を見たりAIDについての疑問や悩みをたくさん抱えている姿を見て、ふと気づきました。

 

 

 

 

そうだった、昔の私にとってもAIDって何か別世界の特別なものと感じていたなあ、と。

その世界に足を踏み入れること=特殊な人生を歩むことを意味するような。

どんな世界かも全貌がはっきりとは見えないから、なんだか怖い部分もあったよなあ。

 

そんな気持ちに直面している当事者の方たちってとっても多いと思います。

 

 

 

しかしそんな時期から8年以上の月日が流れた現在。

私の心はすっかり変わっていました。

AIDで子供を授かったという事実は私という人間の奥までしっかりと浸透してきて、もはや我が家に存在しているのが’当たり前’のものとなっています。

私にとっては全く特別なものではなく、AIDは我が家の大切なルーツ。

当然にここに存在する事実です。

 

ドナーさんに感謝、AIDが出来たことに感謝、何より生まれてきてくれた子供達に感謝。

AIDとは、私達夫婦に幸せを運んでくれた温かくかけがえのないものです。

 

子供を授かる前は、無精子症やAIDについて四六時中考えていました。

でも今は、AIDは当たり前のものになってしまったので、日常生活でAIDについて考えることはほとんどありません。

 

 

 

 

うーん・・・そもそも、

当たり前ってなんだろう・・・。

特別ってなんだろう・・・・。

 

誰かにとっての当たり前は、誰かにとっての特別で。

違う誰かにとっての特別は、違う誰かにとっての当たり前だったりする。

 

 

一夫多妻制なんて日本では考えられないけど、それが当然の人たちも世界のどこかには存在しているわけで。

日本人の常識ではありえなくても、一夫多妻制の当事者達は幸せに暮らしていたりするのかもしれない。(そんな映像を以前テレビで見た)

 

夫婦一人づつのカップルが皆幸せなわけではないし、

一夫多妻制の人たちが皆不幸なわけでもないんだしね。

幸せのあり方は、その当事者の人たちにしか分からないんだろうな。

 

 

そういえば、以前お友達のフィリピン人の女性が笑顔でこんな話を話してくれた。

『10年ほどまえにね、父が亡くなってしばらくした頃、

父が生前浮気していた相手との子供(15歳くらい)が急に訪ねてきたの、

その子の母親が亡くなってしまったから父親を訪ねようと思ったみたいで。

母も私達も父に他に子供がいたなんて知らなかったから、

最初はびっくりしたけどね。

でも、その異母兄弟、私達に似ているところもあってね、結構気が合うの。

面白いよね。それで一緒に暮らしだして、仲良くしているんだ!』

 

 

うん。

特別とか当たり前とか、きっとどうでもいいことなんだろうな。

常識とかも、しかり。

 

本人たちが幸せか否か。

すべては、そこだな、と思うのです。

 

一人ひとり、その人の幸せの形って違っていて。

世界には色んな幸せな形がある。

 

自分にとっての幸せの形・幸せな家族の形。

それを見つけることが、なにより大切なんですね・・・。

 

無精子症やAIDに向き合う事って本当に学びが多いです😌

浅ーい私の人生を深ーーーくしてくれているような気がします(笑)

 

お読みいただいた方、どうもありがとうございました。

寒い日が続きますが、体調崩されませんように・・・。

 

何か聞きたいことや感想などありましたら気軽にコメントください。

 

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