告知はするものでなく、し続けるもの
私自身、ブログで、上の娘イチコに告知をしました、と書きました。
でも、それは厳密には間違っています。
私は今まだ告知の途上です。
確かにイチコに、イチコがAIDで産まれたこと(本人にはもっと分かりやすく説明しましたが)を伝えました。
でもそれは、告知のスタートラインに立った、ということに過ぎません。
イチコは多分自分でもごくたまに、AIDについて考えているのだと思います。
なので、イチコはごくたまにAIDの話題を私にします。
AIDに対して感じていることだったり、質問だったり。
そこで私は考えながら、AIDについて、イチコの存在について、父母の思い、などをイチコに話します。
まだ6歳のイチコですが、多分これはこれからも続いていくのでしょう。
きっとイチコの成長に応じて質問の中身や話題の内容は少しづつ変わっていきながら。
養子の告知の話になりますが、以前どこかで読んだ内容です。
その時は父親についてはまだ考えが及んでいないそうです。
そしてある程度大きくなり次の段階として、父親と血が繋がっていない事も理解していくのだそうです。
そうやって子供は告知の段階を経て、理解を深めていくとのこと。
これを読んでハッとさせられたのを覚えています。
子供は一度告知を受けたからといって、全てを最初から理解するわけではないのですよね。
成長と共に少しづつ少しづつ様々な角度から理解を深めていきます。
その全ての過程に子供が希望する限り・可能な限り寄り添い続けることが’’告知’’なのだと思うのです。
そして、おそらくこれが、子供のアイデンティティを形成する上でとても大切なプロセスなのだろうと思います。
上記の記事でも書きましたが、幼い頃から告知を受けて育った養子の子供は、産みの親に会いたい願望がないことも多いそうです。
こういった事例から私は、子供が自分の出自について正しく知った上でアイデンティティを形成する事が大切さを感じたのですが、
AIDについての対話(告知)をイチコの成長の過程においてずっと続けていくこと自体が、イチコの正しいアイデンティティの形成に繋がっていくのだろうな、とイチコを見ていても感じているのです。
告知をし続けてゆくことって、そう考えるととてもとても大切な事ですね。
告知を適切にし続けていくこと=子供の健全なアイデンティティの形成、かなと思います。