AID告知の歴史はまだ浅い
AID(非配偶者間人工授精)を検討する際に避けて通れない告知問題。
世界の事例を見ても、子供のアイデンティティを守る為にもAIDで産まれた子供本人にAIDで産まれた事実を告知をした方がいいのは間違いなさそうです。
ただAIDの告知の歴史、実は意外にまだ浅いのです。
AID自体の歴史は日本でももう70年近くあるのに対し、
日本で告知をする動きが始まってまだ20年も経っていません。
しかも告知をする動きが始まってもしばらくは告知をしている人は少ないので、
実際に告知をする人が増えてきたのはここ10年以内とも言えそうです。
以下、簡単にAIDの(特に告知に関わる)これまでの流れを書き出してみました。
1884年 アメリカで世界初のAIDでの出産
1949年 日本で初めてAIDの実施例が確認
※この頃は日本だけでなく世界中で子供の為にも、子供に告知はしないという方針でした。
背景として次のようなものがありました。
- 生殖医療自体、「人間が手を付けてはならない領域」と考える人が多かった。
- 生まれた子どもは、血縁関係のある「家」の一員であるべきという価値観であった。
- その為、この頃はAIDという第三者の介入する生殖医療が社会的に今以上に受け入れられにくい時代だった。
1980年以降 AIDで産まれた子供たちが、「出自を知る権利」と「告知」の大切 さを主張し、裁判を起こすなどの社会現象が世界各地で起こった。
2000年頃 イギリス・オランダなど世界各地で匿名の精子提供・卵子提供を廃止する動きが大きくなった。一方で、フランス・ベルギーなど匿名性を維持する国もあった。
2003年 AIDで親になった、親になろうとしている人の当事者団体(すまいる親の会)発足。
2005年 日本でAIDで生まれた人の自助グループ(DOG)発足。
※告知を受けずに大人になったDI児(AIDで産まれた子供)で、ひょんなことから自分がAIDで産まれたことをしってしまった当事者方達が、日本でも「出自を知る権利」「告知」の大切さを訴える活動をされていらっしゃいます。
現状でのAIDの制度ならば廃止すべきだとの声も上がっています。
周囲のAID関係者の方の話を聞く限り、この頃(2005年前後)から日本でもAIDを考えている親を対象に、告知の大切さを伝える動きが始まったようです。
・・・とはいえ、
2010〜2011年頃 慶応義塾大学病院の調べでは、この頃AIDの治療の為病院を訪れた夫婦の中で、告知をすると決めている親はわずか17%程だったそうです。
インターネットが普及するまでは、AIDで産まれた子供たちも、AIDで親になる人達も、互いに交流を持つ事が難しく、他に交流の場がないのが実情だったのでしょう。
2003年にすまいる親の会
2005年にAIDで産まれた方の自助グループ
が発足した辺りから、AIDで産まれた方達の意見を踏まえ、慶応義塾大学病院を始め、AID実施病院でも告知の大切さを患者に伝えるようになったようです。
又すまいる親の会の活動もあり、告知を積極的に行おうとする親が少しずつ増えてきているような現状です。
とはいえ、上記に書いたように2011年頃でさえ、告知をすると決めている親は全体のたった17%程。
ちなみに、私が慶応義塾大学病院の患者だった頃もちょうどこの時期なので、この17%の中に私達夫婦も含まれていることになりますね(笑)
でも私達もすまいる親の会の勉強会に参加していなかったら告知をしないという考え方のままだったと思います。
話がそれましたが、AIDの告知は日本ではこのようにまだまだ歴史が浅いのです。
ゆえに、AIDの告知をして上手く行っている家族の数がまだまだ少ないのが現状です。
やはり、先を行く家族像が見えないというのは、告知をする上で皆不安になりますよね。
でも、海外では告知を受け大人になったAID児の声もありますし、日本でも告知を受けスクスクと幸せに育っている子供たちがどんどん増えているのも又事実です。
告知をして何か困ったことが起きた、なんて報告も私は今の所聞いたことがありません。
告知については、私の知っている限りでこれからもブログにどんどん載せていこうと思っています。
ちなみに養子の告知の歴史の方が長いです。
告知については養子の方が情報も豊富なので、養子を参考にするのも良いです。
もちろん養子とAIDでは異なるところもありますので全てを参考に出来るわけではないですが。
お読み頂きどうもありがとうございました!