AIDという家族のカタチ

夫の無精子症の為、AID(非配偶者間人工授精)で授かった子供たちとの過去・今・未来を綴るブログです。

AID告知をせずに隠し通すということ

AIDをすると決めた当初、私は子供に告知はしないでおこう、と思っていました。

 

知らないほうが、悩んだりする事なく子供も人生を送れるのではないか、と思ったからです。

私達の胸に秘めて墓場まで持っていこうと決めていました。

 

続きを読む

その立場になってみないと分からないこと

その立場になってみないと分からない

 

たまに聞くフレーズですけど、自分がマイノリティになってみると更に痛感しますね。

 

続きを読む

告知後の娘からの質問②

長女イチカが6才になった頃にAIDについての告知をした我が家。

 

それから1年近く時が流れた頃に、イチカがこんな風に私に切り出しました。

 

イチカ「ママはおじいちゃんとおばあちゃんの卵から産まれたの?」

私が、そうだよ??と答えると、

 

イチカ「いいな。イチカもパパの卵から産まれたかったな・・・。」

 

私「そっか。そうだよね・・・。でもパパの卵がもしあったらイチカは産まれてきてくれてなかったんだよね・・。プレゼントしてくれた人の卵だったから、イチカが産まれてくれたから、ママはその人にありがとうって思って思ってるんだけどね。その人の卵で良かったっと思ってるんだけど・・・。でもそうだよね。」

 

イチカ「その人にありがとうって言えた?」

 

私「プレゼントしてくれたの誰かわからないから言えてないんだ。」

 

私がパパの卵があったらイチカとニコは産まれてきてくれてなくて、プレゼントしてくれた人の卵だったから二人が産まれてきてくれたんだよ、と説明している時、イチカは真剣な眼差しで聞いていました。

上手く文字に出来ないのですが、(ああ!確かに・・・!)とでも言っているかのような表情でした。

パパの卵だったとしたら、産まれてくるのはイチカでない別の子になってしまうという事実にこの時気付いたのだと思います。

 

 

その後あらためてイチカに質問してみました。

私「プレゼントしてくれた人がどんな人かなーとか考えることたまにある?」

 

イチカ「ううん、ない。」

 

私「パパの卵で産まれたかったなって思うことはたまにある?」

 

イチカ「うん。」

 

 

 

そうなんですね、そうなんですよね。

イチカにとって、パパはパパ。

自分の始まりがパパからであってほしかった。

その感情は自然ですよね。

 

その後ちょっとおちゃらけ始めたイチカは、

「今のイチカのままでしばらくいて〜、で一度ママのお腹に戻ってパパの卵で今度産まれて〜、で又戻ってプレゼントしてくれた人の卵で又産まれて〜って行ったり来たりしたい〜😁」

だそうです(笑)

 

 

多分、

今の自分は好き。

だから今の自分でいたい。

でもパパの卵で産まれたかった気持ちもある。

 

そんなところなんだろうと思うのです。

 

その2つの感情に折り合いをどう付けていけばいいのかな。

時を重ねる内に、2つの感情は馴染んでいくのかな。

 

養子の子供たちも、(育ての)ママのお腹から産まれたかったな、と良く言うのだそうです。

産みの親の事は気にならないという子供も多いそう。

同じですね。

 

こんな時、ちょっとこの事実を背負わせてしまった責任を感じます。

でもだからこそ!イチカとニコがAIDで産まれた自分の人生が幸せ満点になるように、私に出来ることをしてゆこうと思います。

 

毎日、イチカもニコも目一杯遊んで、楽しかった〜と言って眠りに着きます。

そんな些細な日常を大切に、感謝しながら。

 

必要な時にはしっかりAIDとも向き合いながら。

 

 告知後の娘からの質問① はこちらからです↓ 

hanamirai.hatenablog.com

 

 

 

にほんブログ村 赤ちゃん待ちブログ 精子バンク・精子提供へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 赤ちゃん待ちブログ 無精子症へ
にほんブログ村

AIDに進んで良いのかどうかは人それぞれ違う

AIDか養子かでしか、子供を迎える事が出来ないという現実を突きつけられた時。

 

もしAIDの道に進もうと思うなら、とても大切なこと。

 

それは、自分がAIDに対して肯定的な気持ちでAIDに進もうとしているのか。

 

もし、子供を産むにはAIDしかないから仕方なくAIDに進む、なら、一度踏みとどまって一から考え直して頂きたいな、と思います。

AIDで子供を作るのは親のエゴかもしれない・・・と悩んでいるなら、自分の気持ちがはっきりするまでゆっくり考えてからAIDに進んで欲しいな、と思うのです。

 

続きを読む

マイノリティは孤独になりがち

無精子症が判明した後、AIDの勉強会に参加しました。

 

会場で席に着いて周りを見渡した途端、なぜだか涙が流れてきました。

別に悲しかった訳でもなく、なぜこのタイミングで涙が?と思ったのですが、

今なら分かります。

 

続きを読む

告知はするものでなく、し続けるもの

私自身、ブログで、上の娘イチコに告知をしました、と書きました。

 

 

でも、それは厳密には間違っています。

私は今まだ告知の途上です。

 

続きを読む

AIDの出自を知る権利が認められない事について養子に学ぶ

子供への告知を考えた時の私の不安の一つは、子供に出自を知りたい(ドナーさんが誰か知りたい)と言われた時のことでした。

将来ドナーさんを知りたいと子供が言った時に、子供が納得できるような対応が取れるのだろうか、と。(出自を知る権利が認められていない為)

続きを読む

告知の前と後、父子の関係性(我が家の場合)

男性にとって、我が子に告知をする際に心配なことの一つが、告知をした後の子供との関係性かもしれません。

 

自分と血のつながりがないということが分かり、自分のことを今までと同じように父親として見てくれるのか、などと思いつめてしまう事もあるのではないでしょうか。

それが告知をすすことへの抵抗の一つにもなるのでしょう。

 

我が家の場合、全くもって夫と子供の関係性は告知の前後で変わりませんでした。

娘イチコに告知をした後も、イチコは以前と何ら変わりない様子で父親と接しています。 

続きを読む

産まれてから本格告知までの間にしたこと

上の娘が産まれてから告知を行う6才までの間に私がしたことについて今日は書きたいと思います。

 

2人娘がいますが、まどろっこしいのでブログの中での名前を決めました。

上の娘→イチカ

下の娘→ニコ   と呼ばせていただくことにします!

 

続きを読む

私の家族の原点〜無精子症発覚直後〜

無精子症発覚直後に悩む内容は自分の人生に関わる大切な内容なので、人それぞれ確かにその人の血となり肉となっていると思うのです。

そんな事も伝えたくて、この記事を書きました。

 

ただこの記事は、子供を授かる事が出来ないかもしれないと辛い日々を過ごしている方がお読みになられたら、子供を授かった今だからそんな事が言えるんだ、と嫌な気持ちにさせてしまうことがあるかもしれません。

昔の私ならそう感じたかもしれないと思うので、可能性があるなら読まずに飛ばしていただけたらと思います。

 

続きを読む

告知後の娘からの質問

上の子供には告知を6歳の誕生日頃にしました。

 

その後、いつもと変わらない日常が流れています。

そんな日常の中で、たまに(数カ月に1度)娘からAIDに対する質問を受けることがあります。

その中の一つです。

 

娘「パパの卵をプレゼントしてくれた人(ドナーさん)は病院の先生なの??」

続きを読む

AIDで子供を授かった人の日常は普通の人と違う?

無精子症が発覚してAIDを意識してから子供を授かるまでは、毎日毎日AIDの事を考える毎日でした。

 

そして、子供を産みAIDで授かった命に感謝しながら育児に追われる日々。

そんな日々を過ごしていると、AIDについて考える時間がどんどん減っていきました。

 

AIDの事を全く思い出さずに一日を終える日がどんどん増えます。

子供が1歳になった頃にはAIDの事は頭の片隅に。

続きを読む

告知をするのは子供が何歳の時?

告知。

 

AIDをする上での大きなテーマの一つかと思います。

 

 

でもその前に告知をするかどうか、から最初は迷いますよね。

それについては又記事にするとして、告知をするのは子供が何歳の時がいいのかについて、今日は書いてみます。

続きを読む